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19 . September
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31 . December
 たしか7時半ころだったと記憶する。キャンプ地・沖縄の朝は早い。記者は恩納村の選手宿舎に向かうレンタカーの助手席にいた。2月22日。時間はおぼろげなのに、日付が特定できるのは、その日が特別な1日だったからだ。

 福留孝介と球団との話し合いが、ようやく決着した。その9カ月後にフリーエージェント(FA)宣言し、さらに1カ月後にはシカゴ・カブスに移籍することになる男。結果的にはドラゴンズとの最後の契約がまとまった日ということになる。公式には2度目の交渉。だが、記者は知っていた。名古屋で4度、沖縄で3度のいわゆる下交渉があった。つまり9度目の交渉。これにて自費キャンプも終了した。

 年を越す前に書いておきたかったのは、福留の話ではない。立浪和義のことである。話を戻して2月22日のおそらく7時半。記者の携帯電話が震えた。画面の名を見て、ドキッ。実は彼は目の肥えた読者である。口調はあくまでも柔らかく、それでいて手厳しいおしかりや、鋭い指摘をしてくれる。記事を深く読んでくれるのはありがたいが、的を射ているだけに耳には痛い。沖縄での彼は毎朝、チームよりもはるかに早く球場に向かい、トレーニングに励んでいた。その車中からの電話であるのは間違いない。

 「おはようございます。立浪です」。で始まった“モーニングコール”。だけど、内容はおしかりでも指摘でもなかった。以下、記憶に残っている範囲での再録。

 「きょう、孝介がサインします。そこでお願いがあるんです。孝介のイメージが悪くならんように、書いたってほしいんです。これから野球に集中していくのに、世の中に悪く思われんようにしてやりたいんです…」

 交渉がまとまった。その情報をほんの少し早く知ることができた。いや、そんなちっちゃい話ではない。これだけ年俸闘争が長引けば、日本のファン気質は「粘り強い」より「しつこい」と見なす。もちろん同じ選手の立場だから福留が評価にこだわるのはわかる。だが、世間には必ずしもその真意は伝わらない。福留の“孤立”をおそれた立浪のフォロー。

 球団は組織だが、選手は1人。一般企業のような団体交渉はない。だから『徹底抗戦』したときの負のイメージも、個人に背負わされてしまう。ウソを書けとも事実を曲げろとも言わなかった。ならばと記者は申し出を受けた。立浪の心意気を受け取ったのだ。あれから10カ月。沖縄の朝、電話でのやりとりが今も耳の奥に残っている。
(渋谷真 中日スポーツ)


福留選手はきっと立浪選手がこうやって記者へ電話したことは知らないと思う。
これからも知らなくてもいいと思う。
でもファンは知っておかなければいけないな、と感じた。
批判を言うのは簡単で、自分と価値観がちがうのであれば理解するのは難しいものだから、何事も。

今年は年越しが3人だった。
岩瀬はきっと4日に決着がつくと思う。何度も言うがファンとしては複数年がありがたいけど岩瀬の力ならばどこでもいけると思うので単年にしたほうが自分の視野が広がると思う。
井端も次交渉で判が押せるだろうな。連続試合の評価が上がって球団側が折れるカタチになるはずだ。
憲伸はちょっと危ない。
ミスタードラゴンズを東へ西へ走らせてくれるなよ憲伸。


たっちゃんは野球が好きで中日が好きで選手が好きでファンが好き。
だから英智のようにたっちゃんを慕っている後輩は多いし、ドメもその1人だったはずだ。
ナゴヤドームで一番歓声が上がる選手はなぜたっちゃんなのか。
その本当の理由がここにあると思う。
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