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19 . September
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05 . August
 【中日5-1巨人】マサに快挙だ。中日の山本昌投手(42)が4日の巨人戦で今季7勝目を完投で飾り、プロ野球24人目の通算200勝を達成した。42歳11カ月での完投と大台到達は、ともに史上最年長。中日の投手では初の名球会入りとなる。巨人戦の通算39勝も歴代3位タイに浮上した。ドラゴンズ一筋25年、本拠地での達成でナインから胴上げされたベテラン左腕は、お立ち台で目を潤ませた。

 無数の紙テープが舞い、チームメートがマウンドに駆け寄る。笑顔でかわすハイタッチ、そして4度の胴上げ。優勝したかのような歓喜の中心で、山本昌は表情を崩した。両親を招待した本拠地ナゴヤドーム、3万8333人の大観衆の前で200勝達成。目は潤み、声は震えた。

 「泣かんとこうと思ったけど、胴上げされて…。重いんじゃないかと恥ずかしかったけど、気持ち良かったです。投げる試合は全部勝ちたいと思っているけど、こんなうまくいくとは思わなかった。よくぞ自分がここまでこられたなと、よく頑張ったなと思います」

 初回に先制点を献上も2回以降はゼロを並べ、4安打1失点で今季初完投。剛球はなくても球の出し入れ、制球、宝刀スクリューボールで強力打線に連打は許さない。偉業に王手をかけて迎えた大一番での127球に、プロ25年間で培った力と技が凝縮されていた。巨人戦通算39勝目は現役最多、村山実氏(阪神)に並ぶ歴代3位タイ。現役最強の巨人キラーは、若林忠志氏(毎日)の42歳8カ月を抜く史上最年長完投でメモリアル白星を飾った。

 40歳を過ぎても先発ローテーション投手として活躍を続ける。「丈夫な体をくれた両親のおかげ」と感謝。そして、今は天国で見守る2人の恩人の名前を挙げた。

 1人目はアイク生原(生原昭宏)氏。元ドジャース会長補佐兼国際担当だ。5年目の88年、山本昌は米留学。当時の星野監督が親交のあった生原氏に伸び悩む左腕を預けた。1Aベロビーチドジャースでプレー。ここで指導を受けた。「アイクさんの教えは3つだけ。ボールは(体の)前で離せ、ストライクを投げろ、上から投げろ。基本ばかりでした」。毎日、呪文(じゅもん)のように聞かされた。登板後は反省会。朝4時近くまで投球解説は続き、翌日は球場へ行くとスコアブックと要点を記したメモを手渡された。チームメートの内野手から教えられたスクリューボールにも磨きをかけ、帰国後にブレーク。野球に取り組む姿勢はアイク生原氏から学んだものだった。「オフにいい報告ができる」とロス郊外にある同氏の墓前に報告するつもりだ。

 もう1人は高木時夫スカウト。日大藤沢3年時、神奈川選抜に選ばれた山本昌が社会人相手に完封するのを見た同スカウトは、日大に進学して中学の社会科教師になるつもりだった山本昌を口説き落とした。この日の試合前。ナゴヤドーム近くの高木さんの墓前に「力をください」と手を合わせて球場入りし、天国に勝利を届けた。

 「もうお前はいらないって言われるまで投げたい」。史上最年長での到達、プロ入り後4年間勝ち星がなかった投手の200勝も初めて。11日に43歳を迎える遅咲き左腕の挑戦は、まだまだ続く。

 ▼山本 昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県茅ケ崎市生まれの42歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。タイトルは最多勝(93、94、97年)、最優秀防御率(93年)、沢村賞(94年)、最多奪三振(97年)。06年9月16日阪神戦では史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン達成。通算200勝151敗5セーブ。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。趣味はラジコン。
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