日本中が沸いた星野ジャパンの五輪切符獲得。全国のファンがかたずを飲んで見守ったのが2日の韓国戦勝利だった。負ければ、その時点で北京への道は閉ざされる。そんながけっぷちで踏ん張り、夢をつないだのは中日の守護神・岩瀬仁紀投手(33)。6回2死からのこん身の7アウト救援でチームを救った。運命の46球、そして「日の丸」の重み…。日本の誇る鉄人左腕が、あの瞬間の思いを手記につづってくれた。
アジア予選で1位となり、北京五輪への切符を勝ち取ることができた。胸を張って日本に帰ってこれてうれしいし、正直ホッとしている。シーズンとはまた違った、言いようのない緊張感からようやく解放された。
ぼくの登板は2戦目の韓国戦。強敵韓国との戦いは厳しくなると思っていたし、みんなも同じ考えだった。負ければすべてが終わる。その思いで、(川上)憲伸の後を受けて、6回途中からのマウンドに向かった。
最初の打者に四球。コースギリギリの厳しいところに投げたつもりだったが、余計な四球だった。2死満塁。次の打者(趙寅成)を空振り三振に打ち取ったとき、自然にガッツポーズが出た。いつもよりポーズが大きいと言われたけど、無意識のうちに出ていた。絶対に打たれてはいけない思いだったし、韓国の打者もみんなすごい気迫で向かってきた。気持ちで負けずに投げられた。
8回の続投は、7回を抑えたときに「もう1回」と言われた。最近は3イニングをまたいで投げたことがない。無事に予選を突破したから書けるが、マウンドに行くときは正直不安だった。
でも、そんな表情は出せない。「すべてを出し切るんだ。そうしないと抑えられない」。そんな気持ちだった。あの何ともいえない緊張感の中で戦っていたからこそ、マウンドに行けたんだと思っている。抑えになってから46球も投げたことがない。出番はなかったが、台湾戦で投げられたかどうか。しばらくは投げられない状態だ。
03年のアジア予選と04年のアテネ五輪を経験し、日の丸の重み、緊張感は分かっている。あの2大会を経験して、今回も参加したのは、投手ではぼくと上原だけだ。
「始まるまではいつもと変わらないけど、始まったら別の空気が流れるよ」と若手には自分の経験を伝えた。実際みんなそう感じたと思う。前回は予選からの出場枠は2だったが、今回は1。苦しさでは今回の方が上だった。韓国戦は味わったことのない展開だったし、今回も重圧はすごかった。
シーズンの休みがないまま代表に合流し、体はきつかった。最初は元気もなかった。でも、予選へ向けて調整すれば良かったし、ずっと試合が続いているわけではなかったので、照準は合わせやすかった。気力も充実していた。
これでようやく休むことができる。いつもなら「これで休みだ!」と、しばらくは野球のことは全く考えないようにするのだが、今回はまずホッとしたのが先だ。
北京五輪のことは選ばれてから考えたい。まずはドラゴンズの優勝を目指し、しっかり投げることが大事。北京に行くことになれば、今度こそ金メダルを手にして、銅で終わったアテネの借りを返したい。 (中日ドラゴンズ投手)
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