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20 . September
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01 . August
 オールスターの試合前、京セラドーム大阪のグラウンドに姿を現した選手のいでたちに目を見張った。パ・リーグは「青」、セ・リーグは「緑」のおそろいのユニホームを着ていたからだ。サッカーのオールスターでは当たり前でも、野球となるとおそろいは見慣れない。リーグのイメージカラーに合わせた、練習限定のユニホームだそうだ。

 例年にはない試みに、中日の選手の反応は複雑だった。荒木は「ボクは緑が似合わないんだよね」。4度目のオールスターとなる和田は「おかしいでしょ。この色は『いけてない』」。2人ともデザインに納得いかない様子で苦笑いしていた。

 試合中は各チームのユニホームでプレーした選手たち。個人的にはやっぱりこの方が格好いいけど、統一のユニホームも「特別感」があっていい。ただし、来年も続けるならデザインには一考の余地がありそうだが…。
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25 . July
監督就任以来ここまで苦しんでいるのは初めてかも知れない。
こんなはずない、こんなはずない、のままな。
勝負事は歯車が狂うもの。
それがどこからか探ればいい。個々の力が落ちているのだから、この結果はしょうがない。
他チームも必死こいてうちをターゲットにして分析してる訳だから。
それに対処する本当の意味での力がない。今の選手は雰囲気に左右されてしまう。
我関せずでプレイできるのは、この世界で金本と小笠原道大だけ。昔のにおいを残しているただ二人。
残念ながらうちにはまだいない。それが本当の意味でのプロ選手。のちのちに名前が残る選手だ。
うちにもいいもの持っている選手もいるが、今は、その発展途上。一本立ちしたと見たのは早かった。
手を打てなかった首脳陣にも責任がある。ただやるのは選手。自分らで立ち直らないと。
ちょっと一人前と言うのが半年早すぎた。ただ、昨年の疲れ、普段やらない時期までやってきたから、いろんなところに故障が出てきたのもある。
これだけのお客さんが来ていて、寂しい野球を見るのは初めてだろう。選手は自分達が何でメシを食っているかもう一度考えなきゃ。
今年一年の野球が終わるわけじゃない。
オレは見て待っているしかない。だめならファームと入れ替える。残念ながらいないけどな。
まだ終わったわけじゃない。ここから何連勝するかわからないよ。
24 . July
<中日7-1広島>◇22日◇ナゴヤドーム

 中日が投打の歯車をかみ合わせ、1カ月ぶりに3連勝した。打っては1点を追う3回2死二塁から、打者走者荒木雅博内野手(30)の全力疾走が相手のダブルエラーを誘ったことをきっかけに一挙5点を取り逆転。投げては先発チェンが6回3安打1失点で4勝目をマークした。首位阪神が勝ち、優勝マジック「46」が点灯したが、2位巨人との差は「0・5」とした。低迷を続けていた落合竜も遅ればせながら巻き返しへのきっかけをつかんだ。

 荒木の激走が、2死からの猛攻を生んだ。0-1の3回2死二塁、二遊間に強いゴロを放つと、一塁に猛然と走った。迫力に押されたのか、遊撃手小窪がボールをはじく失策を犯し、谷繁が同点のホームイン。荒木の激走は止まらない。中堅から本塁返球される間に二塁を陥れ、返球が悪送球となり一塁ベンチに飛び込んだことで三塁まで進んだ。「常に先の塁を狙っているので、いけると思ったからいったまでです」。昨季のセ・リーグ盗塁王はさらりと言った。

 ここから打線はつながった。森野、和田、中村紀とタイムリーが出てこの回5得点。左翼線への2点適時二塁打を放った和田は「2アウトからみんながつないだ状況だったので、何としてもランナーを返すつもりでいきました」と振り返った。相手の2失策と8四死球につけ込んで、7安打で7得点を奪った。

 打線の奮起には、伏線があった。荒木は痛みをかかえていた。直前の3回表の守備。無死二塁から赤松の犠打を、チェンが一塁べースカバーの荒木に送球。だが送球がそれて荒木は打者走者赤松と正面衝突。右ひざを強打してもんどりうって倒れた。いつも冷静な落合監督がベンチで立ち上がって顔色を変えたほど。それでも荒木は、試合に出続けていた。実は、満身創痍(そうい)。7日には痛み止め注射を何本も打っていた。「もう体中はぼろぼろだね。でもフルイニング出ているし、続けなきゃいけない」。この日の試合後は足をひきずりながらも「大丈夫。いつもと同じです」と気丈に話した。

 チームは、5連勝した6月22日ロッテ戦以来1カ月ぶりの3連勝を飾った。最近3試合は7点、8点、8点と投手陣を大量援護している。チーム打率はセリーグ最下位の2割5分4厘のままだが、打線のつながりが生まれて上昇気流に乗りつつある。落合監督は「今日は何もないだろ。何もないもん。何もない」と繰り返して満足そうな笑みを浮かべていた。【益田一弘】
20 . July
 17日から1軍の練習に合流していた中田が19日に出場選手登録された。中田の姿を見るのは久々だったが、彼の愛車を見たのはもっと久々だった。交流戦以来、いや、交流戦直前には、すでにナゴヤドームへはタクシー通勤していた。「走行音が少しおかしい」と修理に出していた。

 「結構(時間が)かかりましたね。いったん戻ってきたんですが、バッテリーが上がって、また修理に出してました」

 約2カ月ぶりに愛車を運転しての球場入り。「出掛けようと思ったときに車があるというのはいいですね」と喜んでいた。この間、中田の“愛車”はずっとタクシーだった。不自由じゃなかったの? 「不便じゃなかったですよ。名古屋ではそんなに出歩くときもないですし」。飾らない中田らしい話である。

 (山本諭)
16 . July
2008年7月16日 紙面から

 4500回目のウイニングボールをつかみ取ったのが荒木なら、いきなりの決勝点をたたきだしたのも荒木だ。木佐貫の2球目を強振。打球はラミレスの頭上を越して、左翼芝生席ではねた。

 「前が工藤さんでしょ。その前が河原さん。全部、巨人戦なんですよね」。自身3本目の先頭打者アーチ。荒木の記憶通り、すべてが巨人戦で、すべての試合に勝っている。多くはない。が、チームを勢いづけるのが1番・荒木の一発だ。1番打者だけが味わえる快音と快感が、山本昌に勇気を与え、チームに闘志をもたらした。

 土の球場の忌まわしき記憶ともこの日をもって決別した。7月は甲子園と広島で6試合。うち、5試合で名手が失策を犯した。その4度目が9日の同点失策。寝られぬまま迎えた朝、荒木の携帯電話が震えた。シカゴにいる福留からだった。誰も触れようとしなかった痛恨のプレーを、1人だけ笑ってくれた。中日ではたった1人だった同級生。傷はなめない。慰めもしない。その日に4安打。福留だけにできる“アドバイス”に、荒木は救われた。

 「これで吹っ切りたい。打ったのに考えすぎなところがあったので、今度こそ…。きょうの3本で乗っていきたいです」

 巨人・高橋由との先頭打者弾の応酬は、セ・リーグでは実に30年ぶり(5度目)のことだった。2人の合作で記録に名を残すわけだが、勝った荒木の方が記憶には刻まれるはずだ。そして、2位・巨人をたたいた1勝に、何かを感じ取っていたのが落合監督だ。

 「ウチが出直すときはなんかわからないが北海道なんだよな。そして、巨人が相手なんだ」

 3年前とダブったのかもしれない。いざ、北の国から再出発-。
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