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22 . September
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14 . November
野球の北京五輪アジア予選決勝リーグ(12月1日開幕、台湾)を控えた日本代表の合宿3日目が14日、宮崎市のサンマリンスタジアム宮崎で行われた。

 アジアシリーズを制した中日の川上、岩瀬、井端、荒木、森野の5人が合流した。川上、岩瀬の両投手はランニング中心の軽めのメニュー。井端は中日の定位置と同じ遊撃に入り、荒木は二塁と中堅、森野は一塁で連係プレーなどの練習に参加し、精力的に動いた。

 投手では巨人の上原や日本ハムのダルビッシュ、ロッテの成瀬らがブルペン入り。ダルビッシュは予選2戦目(12月2日)となる韓国戦の先発が有力視されているが、星野監督は「韓国は左打者が多く、左腕の成瀬の先発も選択肢の一つ」と語った。

 また、星野監督はサンマリンスタジアム宮崎と同じ敷地内にある、ひむかスタジアムで秋季キャンプ中の巨人・原監督から表敬訪問を受けた。【田中義郎】

 ○…星野ジャパンのユニホームに初めて袖を通した中日の荒木が二塁と中堅の二つのポジションを無難にこなした。投手と内野手の連係プレーで本職の二塁に入り、内野と外野の連係プレーでは中堅で軽快な動きを披露。「去年も外野で試合に出場し、中日で最初にレギュラーを取ったのも外野。今日は動けた」。合流前、二塁と外野用のグラブを用意するよう指示されていたという。山本守備・走塁コーチは「終盤に代走で出場し、(外野を)守るケースもある」と構想を明かした。

(毎日新聞)
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14 . November
西鉄のエースとして通算276勝を挙げた稲尾和久(いなお・かずひさ)氏が13日午前1時21分、悪性腫ようのため、福岡市内の病院で死去した。享年70。稲尾氏のロッテ監督在任中に2度の三冠王に輝き、この日「正力松太郎賞」に選ばれた中日・落合博満監督(53)は「もうちょっと話を聞きたかった」と絶句した。葬儀・告別式は22日午後2時から福岡市中央区古小烏町70の1、積善社福岡斎場で。喪主は妻律子(りつこ)さん。

 突然の訃報(ふほう)だった。つかの間のオフを楽しむ落合監督は、この日、昼過ぎに起床。正力賞受賞の吉報と、稲尾さんの悲報をほぼ同時に耳にした。

 「ウチのかかあから聞いて、エッ、ウソと思った。具合が悪いとも聞いていなかった。最後に会ったのがいつだったか記憶にない。いつも“今度ゆっくりな”って。それだけ急だったんです」

 午後4時から、都内で開かれた正力賞受賞会見。落合監督はひな壇で喜びの言葉を並べた後、壇上を降りて居住まいを正した。稲尾さんがロッテ監督を務めた1984年から3年間は、4番・落合の絶頂期と重なる。当時の稲尾さんは、我流を貫く選手・落合のよき兄貴分だったという。

 「監督と選手という立場を離れて、朝まで酒を飲みながら野球の話をした。投手とはこういう生き物で、こういうことを考えているとか、打者にはわからない投手心理をを教えてもらった。それはボクの中に財産として残っています」。鉄腕から学んだ投手心理と、誰にもマネできない神主打法の打撃理論が「オレ流」の根底に流れていた。3度の三冠王は、稲尾監督なくして生まれなかった。

 85年に2度目の三冠に輝いた翌86年、落合監督は4月を終えて打率.228とスランプに陥った。すると稲尾監督はある夜フラリと落合監督の自宅に現れ、酒を飲みながら「何があっても4番は外さない」と励ましたという。息を吹き返した落合はこの年、前人未到の3度目の三冠王に輝いたばかりか、2年連続50本塁打も達成した。

 さい配に食ってかかっても、稲尾さんは「オレが監督だ。お前とは立場が違う」と怒りつつ、よく話を聞いてくれたという。腹を割って話せる間柄だったからこそ「落合監督、稲尾投手コーチ」の黄金タッグを夢見たこともあった。「私がもうちょっと早く監督をしていれば“投手コーチ頼むよ”って話したこともある。実現しなかったでしょうけど…」と、寂しげに話した。

 「あんまり酒飲むなよと言っといたのに。強いからな、あの人。野球をよく教えてくれた数少ない人。もうちょっと野球の話を聞きたかった。また野球界から大きな星がひとつ消えました」

 人生の最も輝かしい日に、人生の師と仰ぐ稲尾さんを失った。だがその教えは消えることなく、落合監督の糧となって生かされ続ける。

(元記事::サンケイスポーツ)
13 . November
 プロ野球の発展に貢献した選手や監督に贈られる今年の「正力松太郎賞」の選考委員会が13日、東京都内で開かれ、中日を53年ぶりの日本一に導いた落合博満監督が選ばれ、選手時代を含めて初受賞した。賞金500万円などが贈られる。
 中日からの選出は初で、セ・リーグからの受賞は2003年に星野仙一監督(当時阪神)が王貞治監督(ソフトバンク)と同時受賞して以来。
 川上哲治、杉下茂、中西太(以上野球解説者)田口雅雄(野球ジャーナリスト)の4氏による選考委員会は、レギュラーシーズン2位から勝負に徹した采配(さいはい)で日本一に輝いた手腕を高く評価し、満場一致で選出した。座長の川上氏は「強い信念と、選手のうまい育て方。自分の野球観を持って強いチームをつくった。立派な功績」と話した。

(元記事::スポーツナビ)
13 . November
中日福留孝介外野手(30)が12日、結婚したことが分かった。相手は名古屋市在住の丸茂和枝(まるも・かずえ)さん(36)で、この日、名古屋市内で会見を開いてFA宣言した後に婚姻届を提出し“ダブル記念日”となった。他球団への移籍が決定的で巨人、阪神の国内だけでなく、複数のメジャーを交えた争奪戦が展開される。FA申請はこの日で締め切られ、13日に宣言選手がコミッショナー事務局から公示、14日から交渉が解禁となる。

 FA宣言した福留が30歳の節目に、もう1つ人生の決断を下した。午前9時からのFA会見を終えた後、和枝さんと婚姻届を提出した。「発表はきちんと自分のことが決まってからやりたい」。一般女性である和枝さんに配慮して、写真やコメントなどは公表しない。
 和枝さんは細身、長身、長髪の美人で7年前に知人らとの食事会で知り合い、交際をスタートさせたという。すでに名古屋市内で同居しており、鹿児島県の両親にも紹介済み。今年2月の沖縄キャンプには、福留の両親と連れ立って見学に訪れた。

 この日午前、正式にFA宣言することを表明した。「周りの評価を聞いてみたい。聞くためには手を挙げるしかなかった。ビジネスと割り切ってしまえば簡単だったんでしょうけど、9年間、ファンの人たち、チームメートとやってきたので宣言するかどうか悩みました」。退団こそ明言しなかったが、他球団への移籍は決定的だ。

 今後の新天地選びには結婚が大きく影響しそうだ。マリナーズ・イチローは00年のメジャー移籍を前に弓子夫人と結婚した。さらに今年は、阪神からヤンキースに移籍した井川も結婚。日本とは生活環境が一変するだけに、渡米をきっかけに結婚するケースが多い。

 親しい関係者に「僕の決断が、僕のそばにいる人の人生も変えてしまう」と話しており、新妻の意向は大きな比重を占めている。最終的には生涯の伴侶とともに決断を下し、年内に移籍先と結婚をダブル発表することになりそうだ。

(元記事::日刊スポーツ)
13 . November
 中日の岩瀬仁紀投手(33)は12日、名古屋市内で記者会見を行い、今季取得したフリーエージェント(FA)の権利を行使せず、残留することを正式に表明した。同投手は「よほどのことがない限り残ろうと思った。この球団でやりたい気持ちを持っている」などと語った。
 岩瀬は8日の球団との話し合いで、単年で4億円を超える金額と4年の複数年の条件を提示されたが、この日は「選択に関してはゆっくり考えたい」と話した。
 岩瀬は2005年にプロ野球タイとなる46セーブをマークし、06年にも40セーブを挙げて2年続けて最多セーブのタイトルを獲得。今季も43セーブをマークし、自身のプロ野球記録を更新する3年連続40セーブを記録した。今季は61試合に登板し、プロ野球タイとなる9年連続50試合以上登板を果たした。通算成績は531試合に登板して44勝25敗157セーブ、防御率1.97。

(元記事::時事通信)
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