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20 . September
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28 . August
 中日の絶対的なリリーフエースが、北京五輪では信じられない姿をさらした。3試合で負け投手。特に大一番となった韓国との準決勝では巨人のイ・スンヨプに決勝2ランを被弾した。日本の応援席からは耳をふさぎたくなるような、心ない罵(ば)声も浴びた。疲労や精神的なショックは大きいはずだが「休んでも休まなくても体調は同じ。目の前にゲームがあるわけだから」と、帰国3日後にマウンドに立った。

 しかし、落合監督の岩瀬に対する信頼は何ら変わっていなかった。試合後、守護神とガッチリ握手を交わした指揮官は「ちゃんとした使い方をすれば抑えるんだ」と当然のように言った。北京五輪では藤川とともに抑えの上原につなぐセットアッパーを任され、本来の役割とは違った。とはいえ、敗戦投手となった試合はいずれも同点の場面での登板で、うち2試合は回をまたいだ2イニング目に失点した。「岩瀬は勝ちパターンで行く投手。そういう使い方をしないと…。長年ウチの屋台骨を背負ってきたヤツなんだから」。メダルを逃した責任を背負っている左腕をかばうように、落合監督は星野監督の起用法をバッサリ斬った。

 森バッテリーチーフコーチも冷静に分析する。「国際球は重いから、フォームを崩し、右肩が入りすぎていた。大丈夫だよ」。投球前にアドバイスされた岩瀬はいつものスライダーの切れが戻っていた。五輪期間中は浅尾、高橋といった若手が必死で代役を務めたが、25日の巨人戦では浅尾が2点のリードを守れず逆転サヨナラ負け。守護神がいれば…と思わせた。

 負ければ落合監督就任5年目で初の借金生活という大事な試合で、“抑えの仕事”に戻った岩瀬がキッチリ締めた。「自分が変わったとは思っていない。やるべきことはやってきた」。北京で受けた傷を振り払い、左腕が再び前を向いた。
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22 . August
盛り上がっている北京五輪だが、竜戦士の“視聴率”も相当なもの。

 水泳やソフトボール、レスリングなど昼時の時間帯は、ホテルで過ごしている遠征時など、ちょうどテレビ観戦できる。

 「見ますよ。野球以外も。やっぱり日の丸を背負って戦っている選手を応援したくなりますからね」とはアテネ五輪で日本代表だった和田。若手の平田も「よく見ていますね。勉強になることもあるし。それにいろんな競技を見るのも楽しい。印象に残っているのはフェンシングですね。見たことがなかったですからね」と説明した。

 何より落合監督が五輪フリーク。「よく見るのは陸上や水泳かな。一番速いヤツが勝つのは分かりやすいし、面白い。オリンピックは見るものだ」と日本代表選手に関係なく注目している様子。

 ちなみに「野球は見ないよ」とのこと。
15 . August
 北京へたつ前、川上がしきりに気にしていたことがある。「いつ投げそうなんですか?」。東京でのジャパン合宿序盤。記者に逆質問していたのが200勝をかけた山本昌の登板日だった。

 多分4日、名古屋での巨人戦。そんな話をしていると、川上は残念そうに言った。「試合、見られないなあ…」。なぜ? 巨人戦だからテレビで見られるでしょ。疑問に思っていたところ、同じくジャパンの岩瀬に教えられた。「東京では放送、ないでしょ」

 そうだった。巨人戦はいつも全国中継、という感覚が古かった。200勝達成となった4日の試合も、東京での地上波中継はなかった。

 合宿中のため200勝に立ち会うこともできなかったが、川上はよろこんでいた。「一番良かった時期のあと、苦しいときも見てきたので自分のことのようにうれしいです」。北京行きの前に一つ、ホッとしていた。

(生駒泰大)
13 . August
北京五輪が熱い。高校野球も熱い。でも、こちらドラゴンズも忘れないで-。この夜の先発だった山本昌のある発言で、ドラゴンズにも“金メダル級”がいることを再認識させられた。

 「どうして井端が選ばれなかったかなあ…。中日勢ばかり選んだら悪いって星野監督が思ったんだろうね。ぼくなら入れる。だって知る限り、あいつは世界一のショートだもん」

 つい先日のこと。雑談していると突然、井端が今回の日本代表から漏れたことを話題にした。

 「井端が守っている時に“あっ”って振り返るとセンターへ抜けそうな当たりに難なく追いついている。でもほかの人だと同じ当たりが普通のヒットになっていることが多いんだよ」

 200勝左腕の言葉だけに重みがある。名手ゆえに“当然”に見えてしまう好プレーにもっと注目しようと思った。

(安藤友美)
13 . August
 北京五輪で水泳の北島が金メダルを獲得したニュースはナゴヤドームでも大きな話題になった。決勝が行われたのは練習開始直前の11時半。選手やスタッフはロッカールームなどでかたずをのんでテレビを見守っていたという。

 感動のレースを見届けた谷繁は「北島康介、ヤッター」と叫びながら大喜びでグラウンド入り。監督付の田中スコアラーは平泳ぎのポーズをしながら報道陣を見やり、「あしたの新聞はこれで1面から5面までいけるんじゃないの?」と笑った。

 一方、金メダルの一報にがくぜんとしたのがワタクシ。「決勝って夜じゃないのかよ」と別の記者を問いただしたものの“後の祭り”。広島に移動後、ホテルのテレビで半日遅れの感動を味わうことになってしまった…。

(木村尚公)
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