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18 . September
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29 . December
 休むのも仕事のうち。そんな言葉がぴったり来るのが、今の荒木だ。先日、しみじみとこんなことを言っていた。

 「オフが何のためにあるのか。何となく分かりました、今になって」

 プロに入って、13度目のオフ。今年はシーズン中に痛め、無理して使ってきた左肩を癒やすため、ほぼ「安静」の日々を過ごしている。

 左肩を大きく使うことはすべてダメ。ゴルフもできない。「走るのも良くないそうです」。患部に振動が長時間伝わる動きも禁止項目の1つ。

 昨年まではオフもナゴヤ球場に来たり、体を動かし続けてきた。今年はそれもできない。「オフ」と言えば聞こえがいいが、半強制的におとなしくしているしかない。すべては来シーズンを万全で迎えるため。やっぱりオフも仕事だ。
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11 . September
 試合前の練習が一段落してベンチに引き揚げてきた荒木が、9日に甲子園でお立ち台に上がった阪神・矢野のことを話題に持ち出した。「あの言葉、今度はオレがかぶせちゃおうかな。『必死のパッチ』って」

 「必死のパッチ」-。聞き慣れない言葉だが、主に関西で「一生懸命」の意味で使われているらしい。阪神では矢野や関本が好んで使っている。9日はサヨナラ弾を放った矢野がお立ち台で「必死のパッチです」と連発していた。

 もともと荒木は日本代表のチームメートでもある矢野と親しい。仲の良い先輩がお立ち台でアピールする姿に大いに刺激されたようで、「今度はボクがお立ち台で使います」と仰天の予告?も飛び出した。次に荒木がヒーローになる日は、お立ち台での決めゼリフにも要注目だ。

 (木村尚公)
02 . August
◇中日・荒木雅博選手

 お祭りにはやや地味なMVPとも思えるが、球宴といえども勝負事としてとらえるなら、中日・荒木の活躍は受賞にふさわしいものだった。

 全セが1点リードで迎えた四回。1死満塁の好機で打席が回った。「最初のチャンスで代えられると思っていた」と言いながらも、きっちり結果を出した。「直球1本に絞っていた」と狙い通り、ロッテ・成瀬の直球をはじき返し、リードを広げる左越え2点適時打を放った。

 そして、全セが打者11人の攻撃でたたみかけた五回。同僚のウッズの球宴初本塁打などで3点を加え、なお1死一、二塁の場面で3打席目を迎えた。「併殺打を打たなければ次は青木もいる」と、つなぐ意識で粘った末の6球目。低めの変化球をうまくさばき、左翼線へ適時二塁打。この後の青木、宮本の連打を呼び込んだ。

 「求められているものは守備や走塁」と自身の役割を認識している。「強烈な本塁打とかでは、ぼくは賞は取れない。内川選手がMVPだと思っていた」と振り返った。それだけに「びっくり」と驚きを隠せなかったが、「非常にうれしい」と笑顔も見せた。

 日本代表として出場する北京五輪では、攻守にわたり堅実な役回りが期待される。「しっかり力を出して金メダルを取って帰ってきたい」と荒木。北京でも、この夜のように渋い光を放ってくれるだろう。【立松敏幸】
24 . July
<中日7-1広島>◇22日◇ナゴヤドーム

 中日が投打の歯車をかみ合わせ、1カ月ぶりに3連勝した。打っては1点を追う3回2死二塁から、打者走者荒木雅博内野手(30)の全力疾走が相手のダブルエラーを誘ったことをきっかけに一挙5点を取り逆転。投げては先発チェンが6回3安打1失点で4勝目をマークした。首位阪神が勝ち、優勝マジック「46」が点灯したが、2位巨人との差は「0・5」とした。低迷を続けていた落合竜も遅ればせながら巻き返しへのきっかけをつかんだ。

 荒木の激走が、2死からの猛攻を生んだ。0-1の3回2死二塁、二遊間に強いゴロを放つと、一塁に猛然と走った。迫力に押されたのか、遊撃手小窪がボールをはじく失策を犯し、谷繁が同点のホームイン。荒木の激走は止まらない。中堅から本塁返球される間に二塁を陥れ、返球が悪送球となり一塁ベンチに飛び込んだことで三塁まで進んだ。「常に先の塁を狙っているので、いけると思ったからいったまでです」。昨季のセ・リーグ盗塁王はさらりと言った。

 ここから打線はつながった。森野、和田、中村紀とタイムリーが出てこの回5得点。左翼線への2点適時二塁打を放った和田は「2アウトからみんながつないだ状況だったので、何としてもランナーを返すつもりでいきました」と振り返った。相手の2失策と8四死球につけ込んで、7安打で7得点を奪った。

 打線の奮起には、伏線があった。荒木は痛みをかかえていた。直前の3回表の守備。無死二塁から赤松の犠打を、チェンが一塁べースカバーの荒木に送球。だが送球がそれて荒木は打者走者赤松と正面衝突。右ひざを強打してもんどりうって倒れた。いつも冷静な落合監督がベンチで立ち上がって顔色を変えたほど。それでも荒木は、試合に出続けていた。実は、満身創痍(そうい)。7日には痛み止め注射を何本も打っていた。「もう体中はぼろぼろだね。でもフルイニング出ているし、続けなきゃいけない」。この日の試合後は足をひきずりながらも「大丈夫。いつもと同じです」と気丈に話した。

 チームは、5連勝した6月22日ロッテ戦以来1カ月ぶりの3連勝を飾った。最近3試合は7点、8点、8点と投手陣を大量援護している。チーム打率はセリーグ最下位の2割5分4厘のままだが、打線のつながりが生まれて上昇気流に乗りつつある。落合監督は「今日は何もないだろ。何もないもん。何もない」と繰り返して満足そうな笑みを浮かべていた。【益田一弘】
16 . July
2008年7月16日 紙面から

 4500回目のウイニングボールをつかみ取ったのが荒木なら、いきなりの決勝点をたたきだしたのも荒木だ。木佐貫の2球目を強振。打球はラミレスの頭上を越して、左翼芝生席ではねた。

 「前が工藤さんでしょ。その前が河原さん。全部、巨人戦なんですよね」。自身3本目の先頭打者アーチ。荒木の記憶通り、すべてが巨人戦で、すべての試合に勝っている。多くはない。が、チームを勢いづけるのが1番・荒木の一発だ。1番打者だけが味わえる快音と快感が、山本昌に勇気を与え、チームに闘志をもたらした。

 土の球場の忌まわしき記憶ともこの日をもって決別した。7月は甲子園と広島で6試合。うち、5試合で名手が失策を犯した。その4度目が9日の同点失策。寝られぬまま迎えた朝、荒木の携帯電話が震えた。シカゴにいる福留からだった。誰も触れようとしなかった痛恨のプレーを、1人だけ笑ってくれた。中日ではたった1人だった同級生。傷はなめない。慰めもしない。その日に4安打。福留だけにできる“アドバイス”に、荒木は救われた。

 「これで吹っ切りたい。打ったのに考えすぎなところがあったので、今度こそ…。きょうの3本で乗っていきたいです」

 巨人・高橋由との先頭打者弾の応酬は、セ・リーグでは実に30年ぶり(5度目)のことだった。2人の合作で記録に名を残すわけだが、勝った荒木の方が記憶には刻まれるはずだ。そして、2位・巨人をたたいた1勝に、何かを感じ取っていたのが落合監督だ。

 「ウチが出直すときはなんかわからないが北海道なんだよな。そして、巨人が相手なんだ」

 3年前とダブったのかもしれない。いざ、北の国から再出発-。
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