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22 . September
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05 . December
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2007年 11/22号 [雑誌]
Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2007年 11/22号 [雑誌]

野球全日本が終わり、さぁ何しようという時にやってきた。
日本一になって地元や名古屋すらも探し回り7戦7敗でGETできなかったNumber691号。谷繁のガッツポーズが印象的な日本一特集の雑誌である。
日本一関係の雑誌はかき集めたが、これだけはどうしても手に入らなかったので注文をした。出版社にも在庫がなく、返品待ちで1ヶ月。よっしゃ!


内容は前回(CS編)同様充実していた。
谷繁捕手をもっと評価するべきとの声がどこからも挙げられており、その実績やコラムを読むと改めて捕手のリードがいかに大事かがわかる。配球だけでなく、投手を活かす点からも伺えた。
今回はドラゴンズ日本一なので、中日選手の記事が圧倒的に多い。
川上、荒木、谷繁、中村、山井…。目玉だけでも5人いた。
はやさを求める落合采配(揺るがなかったオレ流)の記事も好きだけど、印象的なのが投手の絆のコラム(力投を生んだ固い結束)。
川上、朝倉、中田、岩瀬の名を挙げて、投手陣の厚さの裏を探った記事だ。

森コーチが憲伸のことを「真のエース」と称えるその理由は本書でじっくり読んでいただきたい。
また同コーチが『投手陣は、“縦の糸”と“横の糸”を結び合いながら勝たなければいけない』と語っていくが
中日の“横の糸”は日本シリーズでは川上―中田―朝倉―小笠原―山井へと繋がれ、“縦の糸”は岩瀬に結びつく。
岩瀬に繋げば勝てる。私もファンもチームもきっとこう思ってる。


ここで野球全日本の話題など出してみる。
野球全日本では上原がこの役目だった。上原に繋げば勝てる。
そして実際に勝った。
1番重要な戦いと言われた第2戦目の対韓国で岩瀬は3イニング投げた。前の記事にもあるように本人はなれないイニングまたぎで不安だったと言う。
けれどその不安や重圧を押しのけるのが岩瀬なんだ。かっこいいよ。


話がそれすぎた(笑)
谷繁の話も好きだ。リードの裏が見えるので興味のある方は一度読んでいただきたい。あの興奮と感動が、今度は違う形でよみがえる一冊である。



追伸、野球全日本特集はいつかなー。また買う。
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05 . December
 日本中が沸いた星野ジャパンの五輪切符獲得。全国のファンがかたずを飲んで見守ったのが2日の韓国戦勝利だった。負ければ、その時点で北京への道は閉ざされる。そんながけっぷちで踏ん張り、夢をつないだのは中日の守護神・岩瀬仁紀投手(33)。6回2死からのこん身の7アウト救援でチームを救った。運命の46球、そして「日の丸」の重み…。日本の誇る鉄人左腕が、あの瞬間の思いを手記につづってくれた。


 アジア予選で1位となり、北京五輪への切符を勝ち取ることができた。胸を張って日本に帰ってこれてうれしいし、正直ホッとしている。シーズンとはまた違った、言いようのない緊張感からようやく解放された。

 ぼくの登板は2戦目の韓国戦。強敵韓国との戦いは厳しくなると思っていたし、みんなも同じ考えだった。負ければすべてが終わる。その思いで、(川上)憲伸の後を受けて、6回途中からのマウンドに向かった。

 最初の打者に四球。コースギリギリの厳しいところに投げたつもりだったが、余計な四球だった。2死満塁。次の打者(趙寅成)を空振り三振に打ち取ったとき、自然にガッツポーズが出た。いつもよりポーズが大きいと言われたけど、無意識のうちに出ていた。絶対に打たれてはいけない思いだったし、韓国の打者もみんなすごい気迫で向かってきた。気持ちで負けずに投げられた。

 8回の続投は、7回を抑えたときに「もう1回」と言われた。最近は3イニングをまたいで投げたことがない。無事に予選を突破したから書けるが、マウンドに行くときは正直不安だった。

 でも、そんな表情は出せない。「すべてを出し切るんだ。そうしないと抑えられない」。そんな気持ちだった。あの何ともいえない緊張感の中で戦っていたからこそ、マウンドに行けたんだと思っている。抑えになってから46球も投げたことがない。出番はなかったが、台湾戦で投げられたかどうか。しばらくは投げられない状態だ。

 03年のアジア予選と04年のアテネ五輪を経験し、日の丸の重み、緊張感は分かっている。あの2大会を経験して、今回も参加したのは、投手ではぼくと上原だけだ。

 「始まるまではいつもと変わらないけど、始まったら別の空気が流れるよ」と若手には自分の経験を伝えた。実際みんなそう感じたと思う。前回は予選からの出場枠は2だったが、今回は1。苦しさでは今回の方が上だった。韓国戦は味わったことのない展開だったし、今回も重圧はすごかった。

 シーズンの休みがないまま代表に合流し、体はきつかった。最初は元気もなかった。でも、予選へ向けて調整すれば良かったし、ずっと試合が続いているわけではなかったので、照準は合わせやすかった。気力も充実していた。

 これでようやく休むことができる。いつもなら「これで休みだ!」と、しばらくは野球のことは全く考えないようにするのだが、今回はまずホッとしたのが先だ。

 北京五輪のことは選ばれてから考えたい。まずはドラゴンズの優勝を目指し、しっかり投げることが大事。北京に行くことになれば、今度こそ金メダルを手にして、銅で終わったアテネの借りを返したい。 (中日ドラゴンズ投手)
04 . December
 長い長い“真剣勝負”からようやく解き放たれた。ゲームセットの瞬間、川上が荒木が喜びを爆発させる。クライマックスシリーズ、日本シリーズ、アジアシリーズ、そして五輪予選…。落合竜を支える5選手にとっても最高のフィナーレだ。

 「勝ててよかった。いろいろあったけど、最後にいい形で終われてよかったですね」。7点リードの9回に代走で出場、10点目のホームを踏んだ荒木が安堵(あんど)の表情を浮かべていた。結局、最終戦で出場した中日勢は荒木だけ。だが、前日に2イニング32球を投げた川上は5回にブルペンで投球練習。岩瀬もまた心の準備はできていた。初戦のフィリピン戦で左ふくらはぎに死球を受けた井端は、途中から宮本に代わって一塁コーチャーとして声をからした。最後の最後も日本代表の一員としてともに戦った。

 疲れがないわけがない。メンバー24選手の中で中日勢の5人が1番多く“真剣勝負”の場に身を置いてきた。休みといった休みもなく、アジアシリーズが終了した直後に宮崎合宿に合流。「たぶんレギュラーシーズンの延長だったら体はつぶれていますよ。でも、負けられないという状況が自分を支えているんだと思う」。しみじみ語った岩瀬の言葉がすべてだろう。自らを鼓舞して12月まで戦ってきた。

 星野監督の胴上げではまだ痛みの残る井端が両手で支えていた。川上に岩瀬、荒木、森野も含めてかつて指導を受けた恩師を喜ばせたいという思いもあったはずだ。3月30日の開幕戦から数えて計161試合。「やっと終わりましたね」と岩瀬。これからゆっくり休んでもらおう。

(中日スポーツ)
03 . December
台中の夜空に、日本の星野監督は両手両足を大きく広げ、笑顔で3回舞った。選手たちはハイタッチで喜びを表現した。北京五輪の切符を懸けた大事な一戦で、しかも完全アウェー。重圧がかかる中、それを跳ね返したのは日本らしい「細かい野球」と「つなぐ野球」だった。

 六回に逆転を許した直後の七回無死満塁の好機。同点に追いつける確率が高い戦法は何か。星野監督が選択したのはスクイズ。打席のサブローは、きっちり転がして同点として見せた。勢いの付いた打線は、西岡が勝ち越し適時打、川崎が左前打……。集中力は途切れず、大量リードを奪った。

 星野監督は言う。「スクイズでまず同点という形がとれた。つなぎの打撃。選手たちの次へ、次への意識がああいう形になった。日本の野球を学んできたとおり、右へ、左へと打ってくれた」。 チームを編成するに当たり、星野監督は田淵ヘッド兼打撃コーチらと話し合い、機動力を生かした細かい野球ができるメンバーをそろえた。他国から「パワー不足」を指摘されても、「どんなに打球を飛ばしても1点」と気にすることはなかった。「日本の野球」で戦うこと決め、貫き通したことが五輪への道へとつながった。

 「アジア予選で五輪出場が決まるのは1チームだけだった。正直、ホッとしている」。星野監督は開放感に浸った。
03 . December
 星野ジャパン、最大のライバル・韓国に逆転勝ち! 野球の北京五輪予選を兼ねたアジア選手権決勝リーグ・韓国vs.日本が2日、台湾・台中インターコンチネンタル球場で行われ、星野仙一監督率いる野球日本代表が4対3で韓国を下した。


 日本にとって、絶対に負けられない大一番。
試合開始直前には先発投手を含めた韓国側のスタメンが急きょ変更になるハプニングもあったが、日本は動じることなく踏ん張り続けた。
1点を追う2回、大村のタイムリーで同点に追いつくと、森野の打球がタイムリーエラーを誘い勝ち越しに成功。3回には好調の阿部がタイムリーを放ち、リードを2点とした。
その後は、ランナーを出しながらも追加点が取れず苦しんだ日本だったが、8回には稲葉のタイムリーが重い空気を一掃した。


 投手陣では、重要な一戦に抜てきされた先発・成瀬を4回途中2失点で降板させ、早め早めの継投策で逃げ切った。2番手・川上は一打同点のピンチをしのぐと、5回にも2死一、二塁の場面を無失点で切り抜けた。6回には2死一、二塁として3番手・岩瀬にスイッチ。

自ら満塁にまでしたものの、あわや逆転の場面を抑えガッツポーズを見せた。8回には1点差に詰め寄られ、なおも2死一、三塁のピンチを迎えたが得点を与えず。最後は上原が1イニングをパーフェクトに抑え、リードを守り切った。


 一方、勝てば大会規定により、3日の試合を待たずに1位通過が決まる韓国だったが、わずかに一歩及ばなかった。先制したものの、2回に逆転されてからは同点のホームすら遠かった。また、6投手を小刻みなリレーでつないだが、日本打線を封じ切ることができなかった。
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