忍者ブログ
18 . September
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

05 . August
 【中日5-1巨人】マサに快挙だ。中日の山本昌投手(42)が4日の巨人戦で今季7勝目を完投で飾り、プロ野球24人目の通算200勝を達成した。42歳11カ月での完投と大台到達は、ともに史上最年長。中日の投手では初の名球会入りとなる。巨人戦の通算39勝も歴代3位タイに浮上した。ドラゴンズ一筋25年、本拠地での達成でナインから胴上げされたベテラン左腕は、お立ち台で目を潤ませた。

 無数の紙テープが舞い、チームメートがマウンドに駆け寄る。笑顔でかわすハイタッチ、そして4度の胴上げ。優勝したかのような歓喜の中心で、山本昌は表情を崩した。両親を招待した本拠地ナゴヤドーム、3万8333人の大観衆の前で200勝達成。目は潤み、声は震えた。

 「泣かんとこうと思ったけど、胴上げされて…。重いんじゃないかと恥ずかしかったけど、気持ち良かったです。投げる試合は全部勝ちたいと思っているけど、こんなうまくいくとは思わなかった。よくぞ自分がここまでこられたなと、よく頑張ったなと思います」

 初回に先制点を献上も2回以降はゼロを並べ、4安打1失点で今季初完投。剛球はなくても球の出し入れ、制球、宝刀スクリューボールで強力打線に連打は許さない。偉業に王手をかけて迎えた大一番での127球に、プロ25年間で培った力と技が凝縮されていた。巨人戦通算39勝目は現役最多、村山実氏(阪神)に並ぶ歴代3位タイ。現役最強の巨人キラーは、若林忠志氏(毎日)の42歳8カ月を抜く史上最年長完投でメモリアル白星を飾った。

 40歳を過ぎても先発ローテーション投手として活躍を続ける。「丈夫な体をくれた両親のおかげ」と感謝。そして、今は天国で見守る2人の恩人の名前を挙げた。

 1人目はアイク生原(生原昭宏)氏。元ドジャース会長補佐兼国際担当だ。5年目の88年、山本昌は米留学。当時の星野監督が親交のあった生原氏に伸び悩む左腕を預けた。1Aベロビーチドジャースでプレー。ここで指導を受けた。「アイクさんの教えは3つだけ。ボールは(体の)前で離せ、ストライクを投げろ、上から投げろ。基本ばかりでした」。毎日、呪文(じゅもん)のように聞かされた。登板後は反省会。朝4時近くまで投球解説は続き、翌日は球場へ行くとスコアブックと要点を記したメモを手渡された。チームメートの内野手から教えられたスクリューボールにも磨きをかけ、帰国後にブレーク。野球に取り組む姿勢はアイク生原氏から学んだものだった。「オフにいい報告ができる」とロス郊外にある同氏の墓前に報告するつもりだ。

 もう1人は高木時夫スカウト。日大藤沢3年時、神奈川選抜に選ばれた山本昌が社会人相手に完封するのを見た同スカウトは、日大に進学して中学の社会科教師になるつもりだった山本昌を口説き落とした。この日の試合前。ナゴヤドーム近くの高木さんの墓前に「力をください」と手を合わせて球場入りし、天国に勝利を届けた。

 「もうお前はいらないって言われるまで投げたい」。史上最年長での到達、プロ入り後4年間勝ち星がなかった投手の200勝も初めて。11日に43歳を迎える遅咲き左腕の挑戦は、まだまだ続く。

 ▼山本 昌(やまもと・まさ=本名・山本昌広)1965年(昭40)8月11日、神奈川県茅ケ崎市生まれの42歳。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。タイトルは最多勝(93、94、97年)、最優秀防御率(93年)、沢村賞(94年)、最多奪三振(97年)。06年9月16日阪神戦では史上最年長の41歳1カ月でノーヒットノーラン達成。通算200勝151敗5セーブ。1メートル86、87キロ。左投げ左打ち。趣味はラジコン。
PR
19 . January
 中日の山本昌広投手(42)が18日、岐阜市内の岐阜都ホテルで行われたディナーショー『梅田淳のでらうまトークライブ』に出演。160人の出席者に今季中の200勝を誓った。悲願達成への秘策は“ノーヒットDVD”。2年前に快挙を成し遂げた自分自身から学ぶことでカウントダウンは再スタートを切る。

 あえて“封印”を解く。これが山本昌の選んだ200勝への秘策だった。「本当は黙っているつもりだったんですけど…」。達成するまで胸に秘めておくつもりが、ファンの熱気にほだされて思わずポロリ。コソッと打ち明けた。

 「去年は(成績が)悪かったので、実はノーヒットの時のDVDを研究しました。引退してからゆっくり見ようと決めていのですが、先に見ました」

 200勝を目前にしながら昨季はわずか2勝に泣いたベテラン左腕。不振脱出の救いを、現役引退まで保存しておくつもりだったDVDに求めた。「いい時には共通するポイントがあるはずだから…」。2006年9月16日の阪神戦。史上最年長でのノーヒットノーランを達成した映像を、今オフは食い入るように見つめたという。

 その中で、本来あるべきの自分の投球フォームを発見。足の上げ方など微妙な修正点がわかったため、自分自身を“先生”にしながら年明けから練習に励んできた。「幸い今のところ調子はいい。このままの形を崩さず仕上げていきたい」。確実な手応えをつかんでいるようだ。

 梅田アナの「45歳まで投げていると思う?」との問い掛けには「〇」で返答。「毎年10勝ずつすれば投げられるわけだから。それくらいの腹づもりでいます。今年も10は勝つつもり」と自分にハッパをかけた。もがき苦しんだ闘いの先には200勝のゴールが待っているのだと、だれよりも山本昌自身が信じている。 (安藤友美 中日スポーツ)
06 . January
マサ、背水の陣で逆襲 ナゴヤ球場で200勝へ始動
 勝負をかけた中日・山本昌広投手(42)のシーズンが始まった。ナゴヤ球場で5日、自主トレをスタート。レベルアップするために、キャンプでは早い段階でのブルペン入りや、例年より実戦登板を増やす考えを示した。通算200勝に向けて背水の陣となるベテランは、若手と競い合いながら、先発ローテを奪いにいく。

 プロ25年目を迎えた山本昌の決意は固かった。昨年2勝に終わったベテランが、のんびりマイペース調整はしていられない。晴れ渡った空の下で誓ったのは、42歳にしてさらなる上を目指すことだった。

 「(体の状態が)去年のをキープするつもりじゃ変わらない。レベルアップするつもりでやります。昨年の成績を上げないといけない。(調整を)早くやって、(開幕へ向け)早く試行錯誤しながらやらないと…」

 レベルアップするために、キャンプで早めに仕上げる。それが山本昌の結論だ。その一として、ブルペンでの投球練習を例年より早めることにした。

 「若い選手と同じように投げられるようにしたい。初日はどうかだけど、第1クールのうちには投げたい。球数を多く投げたりとか」

 2月1日のブルペン入りは明言を避けた。だが、キャンプ初日にブルペンで投球練習ができるように仕上げておくのがチームの基本方針。昨年は2月5日にブルペン入りしたが、若手と同じように投げるのなら、前倒しは必須になる。さらに、山本昌はもう一点、実戦登板の回数を増やすことを目標に掲げた。

 「シート打撃でも、1回は(例年より)多く投げられるようにしたい」

 調整は2軍キャンプ地の読谷でお任せになるとみられるが、山本昌はそれに甘んじるつもりはない。ベテランとしての特権を自らはく奪して、今年は若手と一緒にスタートラインに立ち、先発ローテを勝ち取らなければならない。ベテランといえども、はい上がる覚悟が必要になる。

 「去年は、周囲に力が落ちたと思われてもしようがなかった。(成績が変わらず)そのままの認識なら、引退しないとしようがない」

 昨年の言い訳はしない。でも、力が落ちたとは思っていない。早めに動き、いい形を体に覚えさせて結果を出す。復活目指した山本昌の逆襲がいよいよ始まる。 (山本諭 中日スポーツ)
09 . December
 マサ、ずっと現役でいてくれよ-。テレビ番組収録を兼ねた野球教室とイベントが8日、兵庫県川西市の川西明峰高校で行われ、「プロ野球昭和40年会」のメンバーが参加した。昭和40年生まれの面々が集まり、中日からは山本昌広投手(42)が参加。来年も200勝を目指して投げ続ける同級生へ、今季限りで引退した前ヤクルト監督の古田敦也氏(42)が「1年でも長く現役を…」と、エールを送った。

 年を重ねるごとに寂しさが増す。オフ恒例のイベントで集まった「40年会」。かつて球界の一大勢力を形成した昭和40年生まれの選手が、今ではたったの2人だけ…。

 40年会のリーダー・古田氏が熱く願いを語った。「現役のときはボクもよく周りから、1日でも長く現役でいてくれ、と言われました。ボクもやっぱり同級生には1年でも長く現役でいてほしいと思う。ケガをしないように、長く現役を続けてほしいですね」。エールを送った相手は、あと2人だけになった同級生の現役選手。山本昌とロッテ・小宮山だ。

 昭和40年生まれの選手では、今季限りで古田氏、日本ハム・吉井投手コーチ(前ロッテ)が引退。この日は古田氏の母校である川西明峰高校に大勢の同級生が集まったが、現役は前年の4人から2人に減った。

 確かに“絶滅”の危機に瀕(ひん)している。だけど、まだ息絶えるわけにはいかない。古田氏が言う。「非常に高い目標がありますからね。その目標を目指して、ケガをせず、がんばってほしいですね」。山本昌の前には、征服すべき山頂が控える。200勝だ。

 今後、当分現れることがなさそうな200勝投手へ、あと7勝。そしてさらに現役を続け、もっと星を積み重ねる希望の星…。これは山本昌個人だけでなく、「40年会」、そして同年代の人たちの願望でもある。 

(中日スポーツ)
27 . November
中日の中村紀洋内野手(34)が26日、名古屋市内のホテルで開かれた球団納会に出席し、中日スポーツ選定の「昇竜賞特別賞」の表彰を受けた。育成選手からはい上がっての受賞に会場から大きな拍手。一方、今季地獄を味わった山本昌広投手(42)はオフの無休を宣言し、ナゴヤ球場で早くもスタートを切った。

 1億円ダウンからのスタートを切った。秋季練習が終わり、閑散とした雰囲気のナゴヤ球場。田中、浅尾、岩崎のルーキー3人衆が自主トレをする横で、20歳近くも年上の山本昌が黙々とポール間を走り込んだ。キャッチボール、さらにトレーニングルームでも汗を流した。

 契約交渉を前にして、今季の年俸2億4000万円から、減額限度の40パーセント(山本昌の場合は9600万円)を超える1億円程度の減俸を球団から通告されている。「大幅ダウン? それは仕方がないと思う」と話しているが、失った分は来季に取り戻すしかない。

 オフは無休を宣言。「12月? 忙しいことは忙しいけど、やれる時には(練習を)やりますよ」。11月中旬に鳥取県のトレーニング施設「ワールドウィング」に向かい、1人で自主トレを行った。例年なら1月上旬に、同施設で新シーズンの始動をするはずだが、それが12月どころか11月に動き出した。「休みなし? だってもう十分休んだもん。最後投げたのが、10月中旬だからね」。今後は球団行事の合間をぬって、ナゴヤ球場で練習し、12月は再び鳥取で自主トレだ。

 来季は春季キャンプから若手と横一線で競わされる。「調子いいところを見せないとね」。2008年の時計の針を2カ月早く動かし、復活ロードを歩み出した。 

(中日スポーツ)
Powered by NINJA BLOG  Designed by PLP
忍者ブログ / [PR]